2013年3月5日火曜日

誰がためにドアベルは鳴る。

先日、変わった体験をした。家に一人でいて、キッチンで料理を作っていた。
そこへ「ピンポーン」の音。ちょっと長く響いて音もおかしかったけど、電池がもうないのかと思いながら玄関に行ってみると誰もいない。

うちの玄関はピンポンダッシュできるほど短いわけではないし、誰かが逃げたなら、その音が床板に響いて気づくはず。
でも誰もいない。本当に、誰もいなかった。


しかし、以前にも実は同じような事があった。
それは、今は日本に帰ってしまっている日本人の友達がうちに遊びに来て、昔買ったスタイサー(薄切り肉が売ってないので時々友達が借りにきます)を使っているときだった。

彼女の親友がとある事情で先日亡くなった、という話をしていた時に、突然鳴り響いたドアベル。
特に他の客も呼んでいないので、何か押し売りかなにかと思って玄関を開けたが誰もいない。

私はとっさに、その亡くなった彼女が友達に会いに来たのではないかと思った。

そのドアベルは、キッチンに音のなる装置があって、「コンセント」でつながっている。
しかし、その装置のすぐ横でスライサーなどを使うので、電気的に何か電波などが飛んで勝手になってしまったと思う方が普通だし常識的だ。
でも、私は、なんというかとっさに分かってしまったというか、「ああ、そうなんだ」という全く根拠のない確信を持った。

このドアベルは、きっと亡くなった人に気持ちと私やここにいる人に反応することができるのだと。
亡くなった人が、ここにいる人に「私も会いたいよ」って言うことができる唯一の手段なんじゃないかと。


そう、キッチンで一人料理をしていた二年前のその日、旦那のお父さんが亡くなった。

スウェーデンでは命日に特別なことをしない。
集まりもしないし、何か特別な食べ物を食べたりもない。
その代わり、私はお葬式の時にもらったキャンドルをともして、しばしの義父さんとの時間を持った。
無口だけど、やさしくて、本当に家族の為に何でもしてくれた義父さん。写真をたくさん撮ってくれる分、なかなか本人の写真がない義父さん。
義父さんとは、スウェーデン語もままならない時にしか話してなかったから、色々話したかったな、と今でも時々思う。

ドアベルは、義父さんが「Hej på dig」してくれる便利な機械だった。
今度、試してみよう。会いたいけど会えないあの人のことを思いながら、キッチンで仕事をするのだ。
誰がためにドアベルは鳴る?それは、ただ私のために。

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