2015年5月31日日曜日

私は考えるために生まれてきた。


写真は、祖母の家から見える夜景。遠くにサンシャインが見え、映ってないけど新宿も遥か彼方にみえる。ベランダから顔を出せば、スカイツリーも見えるが東京タワーがマンションに隠れて見えないのは惜しい。さて。

最近になってやっと、病気などで死を恐れる人が、よりによってその怖がる対象である死を自ら選ぶ理由が分かった気がする。
だって、そうだろうが。本末転倒じゃねえか。死にたくないつってのに、何で死ぬのさ。

でも。私は大人の階段を裸足でまた一歩登りました。ウフ。

死を恐れているために、その過程の不安がってる気持ちに耐えられないんだ。いつ死ぬだろう、どう死ぬだろう、死んだら痛いのか、苦しいのか、死の先に何かあるのだろうか。
そう考える事に疲れてしまうのではないか。実感として体験した。

このブログ、もう読んでる人などいないだろうとタカをくくっていたが、先日緊急帰国した際に二人もの人から「ブログ書いてね。待ってるから」と言われた。驚いた。

もう私はウクレレ弾きでもないし、そもそも私のブログはステチなストックホルム在住のほっこりブログではない。ドロドロで、ザラザラで、時々どこかに飛んで行ったりふっと消えてしまうような安定感のない、コンセプトのないブログだ。

あえて言うなら、頭の中をさらしてるブログだが、その書き手がたまたまスウェーデンに住んでいるだけで、ダントツに情報感ゼロなのだ。だから期待しないで……と書かずとも、今更期待する人はここにそもそもこないので安心して進む。

さて、最後のブログからかなり時間がたってしまった。その間の近況報告をさらりとしてみよう。

11月、あるアウトプットを思いつき、作業は現在にいたる。これはここでは無視。
それと同時に再び腹部に鈍痛を感じ、結局4月に盲腸が発覚して手術するまでこの鈍痛が続く事になる。
12月、アウトプットのかたわら旦那の妹ファミリーの住むベルギーにクリスマス休暇で出かける。
ベルギーはノイハウス、ゴディバなどのチョコレートが有名だが、今回はダイエット中、というかこれ以上体重を増やしたくなかったので購入せず。11歳の義理の甥っ子にうっかりパンツ姿を見せてしまって、トラウマにならないか心配したりw
1月は自分と旦那の誕生日で、かねてから少しだけ気になっていたノーベルディナーを食しにスタッドヒューセットに。このころすでに私たちの物欲はスウェーデンの森の彼方で「物の代わりに消えもので」とあいなった。
味はそこそこ、値段と釣り合わないと思ったけれど、実際のノーベルディナーと違って、料理してすぐ食べられるから美味しいというのでそこに金を払ったってことで納得する。
他にもビジネスで来てるっぽい日本人のおっさんリーマンがいた。
2月、アウトプット中。特出すべきことなし。
3月、いよいよ鈍痛が激痛になり緊急受付へ。でも脳梗塞の薬の副作用とか言われて帰る。納得いかず。産婦人科で二人のイケメンに二本指をあそこに入れられグリグリされるところを旦那にみられるという屈辱プレイまでしたのに。私やっぱりMではないなw
その2日後、どうしても痛みが引かず、再び夕方緊急受付へ。
ここで血液検査の結果盲腸と出て、その翌日(夜中2時!)には手術台に乗っていた。全身麻酔の空気を吸うとき、ちょっと怖かった。だって横になっただけで実は私、頭に血が上って少し息苦しくなるの。このことを話してなかったから、気を失ったまま呼吸停止ってやだなって思ったけど、目が覚めたので一安心。
でもその目覚め方も、意識もうろうで(モルヒネだったんで)その後の感染症も重なって、ずっとお腹が痛くて痛くて辛かった。家に帰っても歩けないし……旦那には本当に悪い事した。また泣かれたし。
その1ヶ月後、ストックホルムのお祭りで着物を売る機会を得て、頑張って着物を着て(全部見えないところはごまかしたなんちゃって着付けだったけど)体力持たせた。
でも実はこの当日の朝、母親から父方の祖母が危篤だと連絡が入っていて、気がきじゃなかった。夜連絡してみたら、まだ状況はよくわからないとのことで、私は次の日の午後2時にはもう飛行機に乗っていた。今は前日までなら普通の値段でチケット買えるんだね。助かった。
成田に着いて、その足で都内の病院に行った。祖母と顔を合わせたら「病院にいなくていいの」って逆に聞かれた。私が盲腸やったの知ってたか、脳梗塞のことだと思って、自分自身が病院で寝てるのに人の心配なんてって思うと、切なかった。
それが私と交わした最期の会話で、何だかしんみりする。
ちなみに私はフェイスブックをやっていて、ずっと音沙汰なし、ロムもしてない状態だったのだが、昨日、日本の119番にあたる112に電話して初めて救急車を呼んだという貴重な体験をしたので自慢したくなったw
ここで同文を載せておく。

久しぶりに近況報告。
約一ヶ月前、ストックホルムで開催された「桜祭り」に着物のお店を出店、楽しかった。
しかしその日の朝、父方の祖母が危篤との連絡を受け、店舗撤収後連絡、翌日の419日緊急帰国。成田到着の足で行った病院で、会話を交わし(結果これが最期の会話に)「落ち着いたねー」などと言っていたのだが、帰国予定日の前日、祖母が永眠。
お通夜と告別式の日取りが決まり次第、帰国日を伸ばし523日に変更、結果最後まできちんと祖母とお別れすることができた。
急な帰国だったし、いつなにがどうなるか分からない状況と素直に気分が乗らないのもあって、一ヶ月以上も日本にいたのに、友人には誰にも連絡していなかった。皆さんすみません。
時間に余裕がある時は、地元の100円ショップ、乗換駅のユニクロかブックオフ各店(+池袋のジュンク堂)。結局この4種店だけで私の用事は全てまかなえた。すげえ。
本はたぶんトータル3万円くらいは使ったと思う。いま私に必要なのは、日本語で手に入れる「インプット」だったとこれで気づく。船便でスウェーデンに送ったので楽しみだ。
桜祭りの一ヶ月前には盲腸で緊急入院(スウェーデン)。そして昨日は……人生二度目の、スウェーデンでは初めての救急車に乗った。あ、でも112に電話したのは初体験だったなあ。一回目は玉突き事故だったから。緊急電話なのに一分以上も出てくれなくて、スウェーデンの救急車って忙しいんだなあって思った。そして、あとで救急隊員のイケメンに「手握っててください」とか恥ずかしいこと言わなくてよかったなあと思ったw
一昨日受けた脳血栓(脳梗塞とは別枠w)定期検査のためのCTスキャンの陰影剤?にアレルギー反応が出て、翌日になって心拍数が急激に上昇、同時に呼吸困難になって体も震えるし、旦那も仕事に行ってる昼間、家には私一人だけだったので思い切って救急車呼びました。初めて呼ぶのでどうしようか迷って、お金かかるっけ?って余計なこと心配したり(スウェーデンは救急車は無料だった)、それでもっとドキドキしたかもw
でも後で、正しい選択をしたと安心した。早急に正しい決断をする時の心の決め方に覚悟ができて、別な大人の階段登っちゃったなあと思った。
何で救急車呼んだかというと、息が出来なくなって苦しくてパニックになったから。でも苦しくなければ、死ぬ一歩手前まで112に電話するかの決断なんて覚悟は必要ないんじゃないか。
今や死ぬ事と天秤にかけて勝ちうる「生きる理由」を見失いつつあり、旦那を無邪気に困らしており。品揃えが悪い柏のブックオフで流れてたラップで「親より先に死ぬのは親不孝だ」とか言われ、何でお前にそんなこと説教されなきゃいけないんだとイラッとして、自分が避けてた本心に気づく。本を待ってる気持ちとは裏腹だ。どうすっかなあ、この精神状態。
まあ、まとまってないけど。以上、近況報告。
今のうちに連絡したくなったら、気軽にどうぞw

だってさ。……今や病気のデパートと化してしまった、今まで健康体だった自分だが、昨年の脳梗塞をきっかけに強制的に考えなくては行けない事が増えてしまった。

それは、この先どうやって生きるか、だ。
今までは、三十代の中盤に、自分としては劇的なバンジージャンプをして仕事を辞め、ウクレレに生きる誓いを立てあえなく挫折し、ドイツのウクレレフェスに行って未来の旦那と出会い、ハワイで英語を勉強し、結婚するためにスウェーデンにやってきた。移住して5年。結局、私の心底から二段階目くらいにくすぶっている「社会や人に必要とされたい欲」を満たせない自分にずっとずっと焦りを感じ続けていた。
仕事がない。仕事ができない。息もできないくらい。

私には子供がいない。だから、私の祖母のように家族に囲まれて泣いてくれるような葬式はできないだろう。べつにそれが理想でもないけれど。
親にこんな悲しみを与えてはいけない、と実感したのは事実。私と同い年の男性の名前が書いてある骨壺を見た親戚が、自分の息子のことを思って思わず泣いてしまったのを見たから。
そして概出の、ブックアフのラップだ。ちくしょう、ブックオフのくせに。

私は祖母が亡くなったとき、一生懸命祖母を捜した。天井に。きっと旦那の義理のお父さんのときみたいに「わかる」と思ったからだ。
でもわからなかった。なにも感じなかった。ぜっと昏睡状態が続いていたから、もう準備ができていたんだろうか。義理のお父さんは心筋梗塞で急死だったから、自分でも死んでるのかよくわからなくてあわてたんだと思う。私は悔し紛れに今回のお坊さんにもそれとなく今祖母がどういう状態なのか聞いてみたが、要領を得なかった。うーむ。

私がスウェーデンに帰国してから、救急車に乗ったりしてる中で感じた事は、とにかく自分が「死にたくない。これをやらずして死ねない」ことをやり遂げたい、やりたいということがあると発見したことだ。実は日本の銭湯でまるっきり今回と同じ呼吸困難を体験したのだが、その時の方が一回目だったからより鮮明だったのかもしれないが。

でもそれは、はっきり余命があと半年です、とか一年です。とか、明確にされた人にしかできない決断なんじゃないかとも思う。私は残念ながら、明日死ぬか、30年後に死ぬかわからない中で予定を立てられない人であるw

でも考えてみると、30年先のことを考えて計画して行動して、その途中でも死んでも、明日死ぬかもと思って毎日毎日をリセットしながら生きても、それはそれで道が二種類あってどっちでもいいんじゃないか程度のものだとも感じる。
死んでから「ああ、結局こういう道を選んだのね、私」って納得するだろうから。

今ネックになってるのは「明日死ぬなら~~をやっとかないと嫌だ」とか「30年後に死ぬなら~~をやっておきたい」とか考える


のことだ。人間どーーしても欲がでる。でも物欲じゃない。生きた証を残したいとか、人の為に何かやりたいとか、最期まで特別でいたいとか。そういうやつ。

一番最後の欲は、今、ブログのタイトルにさんさんと輝いている。
私は死ぬ前に、どうしてもあっちの世界の人とコンタクトを取りたいのだ。死ぬ前に!

ブックオフで念を押され、斎場でもさらに念を押された私には、今や自死を、という選択肢も選べなくなり崖っぷちだ。前も後ろも詰まってる。

求職をしばらくやめたい、と明日旦那に言ってみるつもりだ。旦那は100%了承してくれるだろう。私自身が私自身に許可を与えていなかっただけだ。誰に必要とされない上で生きる「隠遁者」になる道を。人のやりたいことはその人ためじゃなくて、自分のためなの。だから誰に必要ともされない人生になるのだ。

そして、アウトプットをしつつ、そのためのインプットもしばらく続ける。私は女だからね。同時にいくつもの仕事ができるからw
私の中の一番下にある欲を満たす為に。自分自身の為に。


私は考えるために生まれてきた。最近特にそう思う。でも最後のブログには考えるのはもう飽きたって書いてて、ちょっと前の自分をナデナデしてあげたいなあとも思う。