2011年3月28日月曜日

言葉。



ダーリンとの新ユニット「プンクトビリエッテナ」の動画です。
今回震災被害者への募金を集める為に、ダーリンとケンカしながら練習しました。
名前は「どっと&切符」(直訳)なんだけど、意味はなくて単に自分がスウェーデン語で好きな言葉を並べただけです。でもダーリンもその意味のなさが気にいってくれているようです。
「プンクトビリエッテナ」よろしくね!

さて、このユニット、ストックホルムで開催される「ウクレレキャバレー」という月一のイベントで演奏しました。(私は弾いてないけど)募金の説明もスウェーデン語でしてます〜〜。
Det är att jag och min man spelade ukulele på Ukulelekabaren i lördags. Är det bra??
集まったのは285クロノール。約3000円くらいかしら?それでもやった価値はある。これに私たちの分200クロノールを加算して、ストックホルムの日本人会に4月分の集計に入れてもらえる様に送ります。(月によって送り先を変えるそうです)

さて。

いつも思うんだけど、昔の動画って全然今の自分の語学力とギャップがある。
ハワイに英語を勉強しに行く(これは留学とは言わないんだそうで)前にとった動画を見た人から「このレベルで、ハワイに行ったからといって英語が話せるようになるなんて思わないでください」とか言われて驚いた。(そこまでよく人に言えるな、と)

先週撮ったばかりのこの動画では、同じ様に今度はスウェーデン語で話をしてるんだけど、自分的にはハワイ前に撮った動画と同じレベルだなこりゃ、とか思う。

でも昨年、ダーリンのウクレレ仲間(オーストラリアとのハーフ)と東京であった時(ハワイ帰国後)、「あやさんがこんなに英語話せるなんて正直驚いた!」と言われて「私どんだけ〜!!」と思ったけど、確実に上達してるってことなわけで、正直嬉しかった。

今は私のスウェーデン語も(もちろん英語の歌も)「このレベルでスウェーデン語が話せるなんて言わないでください」とか言われちゃいそうだけど、あと数年もたって「ぎゃー見ないでこのメチャクチャ文法の動画はずかし〜!!」とか言える様になるのが老後の楽しみ。

ただ、今非常に「漢字」が出てこなくなってあせってる。ちょっと難しい言葉も間違えて言ってる時あるし、英語も基本スウェーデン語とごちゃまぜ英語だし、すでにダーリンにしか通じない言語「あや語」がラクになってる。例えば「Jag är mycket めんどくさい att take a bath.」とか。(笑)お風呂入るの超めんどくさいって言ってるんだけど、これで通じちゃう毎日だから怖い。

ママンとの週一のスカイプも時々「Vänta lite...」(ちょっと待って)とか言って、ママンを混乱させてる。これがわざとじゃないから、今度日本に帰った時が怖い。とりあえず、スウェーデン語とあわせて、日本語力を鍛え直すのが、今の課題です。

2011年3月21日月曜日

自分にできないこと。

自分にできること以上に、自分にできないこともだんだん分かって来た。ここが辛いところなんだけれども、どこかで線引きしない事には…。世界中のどこかで悲しんでいる全ての人に共鳴していては、それはもう強く生きていけないという意味であり。私が今大切にしたいことを大切に思う、日頃は当たり前だと思っていたことに感謝する。行動もそうだけど、「自分でできないことを考える」ことも大事だなと思うこのごろ。

日曜は学校の日本人の友達が、ストックホルムの中心街で街頭募金活動をするグループに混ざって着物でお金集めてきた。とっても大盛況だったようで、私も本当に行きたかったけど、私はあえてそれに行かなかった。行けなかった、というほどいい人でもなく、現状の自分の状態で、そこに行くには自分でできることを越えた行動…と思ったから。

すでにこの一週間、他の義援金関連でものすごく忙しかったというのと、ここ3週間、義父が亡くなってバタバタして自分自身がもうクタクタで、ろくに休んでなかったということ。さらに、ダーリンの心のケアを怠っていたと思い、日曜は一日ダーリンと一緒にいました。といいつつ、ヘミシンクでレトリーバルも試みたりして、結局休んでないんだけどね…。

その日曜日、ダーリンがいい天気だからお散歩したいとダダをこねるので(笑)近所を散歩すると「今日はお祭り??」ってくらい近所の湖畔にひとだかり。何かと思っていると、どうやら「スウェーデン人総日光浴」の景色だったよう。この人たち、本当に日光浴するために外に出る。そのため、にわかに祭り状態。

基本的にせこい私は「ここで募金活動すれば…」なんて考えるが、よくよく考えると、私が短大の卒業旅行で行ったタイのビーチでノンビリできないほど次から次へと物売りがやってきて「全然リラックスできねーじゃねーかコノヤロー」状態を思い出し、スウェーデン人の唯一の娯楽(笑)を邪魔するのも「ボランティア精神」からははずれた行為になると思い、諦めた。

ダーリンは「AYAが疲れてるのはビタミンDが足りないからだよ。ハッピーホルモンを出さなくちゃね」とか恐ろしいこと言うし、義父がなくなって、地震が来て…と、色んな意味でスウェーデン人の感覚のギャップにこの3週間驚きっぱなし。


街頭募金には、色んな方面から「街頭募金したって効果なし」「日本人として恥ずかしい」「スウェーデンではやり方が違う」という声が耳に入り、こっちに住んで一年の私には、どれが本当のことなのか判断できなかった。でも蓋を開けてみれば、友達いわく沢山の人が活動に参加し、沢山の方々が募金をしてくれ、沢山の方々が「やってよかった」と言ったとのこと。

これを聞いてものすごく落ち込んだのは自分自身。いつも思う。どうして私って、自分の信念とか考え方を信じてあげられないんだろう。
私だって「やってみなくちゃわかんないじゃん!」と常々思っていたのに、信頼できそうな人から反対のことを言われて「やっぱスウェーデンじゃ日本のやり方とは違うのかな」なんて思ってしまった弱い自分がいる。
参加しなかったことについては、ダーリンとの時間の方が「今」私にとって最優先すべきことだからこれには後悔しないけど、人の意見に流されてた自分に気がついて幻滅した。

ほら、もう、全然今までの努力が水の泡。今までさんざん努力して自分を認めてあげようとしてたのに、全然効果がない。全然自分は自分を信じてあげてない。

どうしたらいいんだろう。自分にできないこと、それは実は「まだ自分を愛してあげられてないこと」。正直、今すごく辛い。

2011年3月15日火曜日

お金は気持ちになるんだって、わかんないんだよ。

まず始めに、地震の被害に遭われた方々に深くお見舞い申し上げます。

さて、先日フェイスブックにこういう投稿をしました。

「スウェーデンにあるボランティア団体は義援金の受付などをしないらしい。日本は豊かな国だからだと。

では、なぜ日本は豊かなのでしょうか?
それは、

日本人が豊かになろうと努力して働いたからです。

日本はもともと豊かな国なわけではありません。
石油も出ないしダイヤモンドも出ません。あるのは人間の知恵と労働力という資源だけです。

ふざけるなスウェーデン。
豊かだから支援しないだと?じゃあどこを基準に豊かじゃないというんだ。
どこを基準に支援が必要ないというんだ。
働かない国の人間にそんなこと言われたくない。

一生懸命に生きようとしている人間を馬鹿にするな。」



今旦那との凄まじい言い争いを終えたところです。
これでちょっと分かったのは、スウェーデン人は義援金が何に使われるかとかどこに行くかとかあんまり知らないということです。

やつらは日本にお金を送る=国にお金を送る、と考えているようなのです。
たしかにハイチの地震などでは国自体も貧しいので国が被災者を支援する事はできません。
そういう意味では、国家に直接お金を送ることはとても大事な事です。

でも、私たち日本人は「義援金→国へ行く」とはだれも考えていないと思います。
義援金とは、例えば赤十字だったりユニセフだったりと、
「被害に合った方々を助ける人のところにいくお金」だと認識していると思います。
そのお金は食料になったり水や衣服になったり、薬、車、灯油等、被災者たちを助ける救援物資となるわけです。
さらに、壊された学校の再建にも役立てられるわけです。
でもそこがいまいちわかってない。伝わってないんです。

スウェーデン人たちは、義援金は直接被災者か国へ行くと思っている。被災者に紙のお金が渡されると。
でも日本はリッチだからお金はいらないよね、となる。
だって、皆食料を買うのに並んでるじゃないか。お金はあるんじゃん、となる。

そーじゃねーだろ。

たった一人の旦那の意見だけで「スウェーデン人は」とはいいたくないですが、様々な所から同じ声が聞こえて来ます。
違うんだよ。気持ちなんだよ、気持ち。お金は気持ちになるんだよ。これは絶対に翻訳できない。

それに被災者だって色々だし、今の時点でテレビカメラが入れるところにいる人はまだマシな方なんだってスウェーデン人は誰もわかんない。

ミクシで「道ばたで募金活動をする」といいつつ、他の日本人に”痛いから”と言われて密かにキズついた私でありますが、
このお互いの誤解…

スウェーデン人の誤解「義援金→国へ行く。日本はリッチだから必要ない」と
日本人の誤解「スウェーデン人は日本を見捨てている」という誤解を解く為に、やっぱり募金活動やろうかな…とも思います。

ここで頭を使うんだ、コピーライターだろうが!!
コンセプトが大事。そう、それが一番大事。
きっと、お金がどういう風に使われるのかがわかれば、スウェーデン人も鬼ではないと思う。(本気で貧乏な人も沢山いるけど)

私がここスウェーデンの地で「今できること」。
それは、スウェーデンを憎むことではなく、分かってもらうために根気よくできることをやること。

ただ、この国では悲しい事に「募金サギ」をやる人もたくさんいて、何かネームバリューがないと信じてくれません。
募金したお金を持ち逃げすると思っているんです。トンでもない国です。

とにかく、何か考えます。