2014年10月13日月曜日

3)幸せはどこにある。〜ももと満月までの8日間。



ももは砂の中でぺぺぺぺ言いながらもがんばってじっとしていた。というのも、砂浴を試してみたかったからだと言う。出かける直前になって、買った植物の薬効の本に、砂の中に埋もれると体の中の毒素が砂によって排出されると書いてあったので試してみたかったのだろう。しかし、意に反してあまり効果を感じられない。本を読んだり日傘を調節する為に両腕を出したからかととも思うが、トトロに「つまらん」と言われるまでビーチで寝ていたももは、あるおじさんが自分をじっとみているのに気づく。「そんなに珍しいか、砂に埋もれているアジア人は」と思うが、確かにアジア人は珍しかった。というよりも、自分以外にビーチにアジア人がいない。みんなおっぱいをべろべろ出している、体重は絶対三桁を超しているおばちゃんばかりだ。

しかしすぐにももはその思いが間違っていたことに気づく。砂から出てうつぶせになったとたん、何か遠くの方でたくさんの人が固まっているのに気づく。トトロにあれはなんだと聞くが、トトロの方こそももが指差して初めてそっちの方を見たという。なんて空気の読めない奴だ、とつくづく思う。特にこの男は探し物ができない。目の前にあるものをずっと探し続ける。よくよくよくよく聞くと、どうやら間違ったイメージを目標にして探していることがわかる。最後に触ったところを考えない、同じところにあったものは今どこにあるか考えない、直前に変えた袋の色など考えない。実際に探しているものと脳内イメージが違う色や形状のものも、目の前にあっても見つけられない。現実の世界とは「自分が見ている世界」に他ならないわけであり、ということは、この巨漢トトロは、探しているものが無くなった世界に生きていることに他ならない。そしてこのことにトトロは気づいていない。こういう物の見方をしているから、見た物しか信じない、とか学者や世間が言っているから信じるという受動的な考えになる。これはいつか何とかしないといけないと思いつつ「あれ」に戻る。

あれは何だと聞いたももが、あれは何だと聞かれたトトロに説明する。さっき救急車らしきサイレンを聞いたが、それがこのビーチに来たとは気づかなかった。ももを見ているように見えたおじさんも、実はサングラスごしにこの事態をじっと見ていたのであった。釘づけとはまさにこのことだ。

体勢を変えてみた砂だらけのももは、大勢の隙間から上下に動く紺の制服の男性、おろおろしている白人の水着女性あたりから「もしやリゾートに来て泳ぎを楽しんでいた白人のおじさんが溺れたか?」と推測する。推測はあくまで推測でしかないが、見れば海の中には泳いでいる人は誰もいない。大勢の人の集まっている場所、道路に横たわるアンビランスの車三台、走ってくる白い服の人や青い服の人たち…さらに、なかなか運び出されない本人。

こういう場合、生きてる方が確立少ないんだ、とももは思う。生きているなら、すぐにでもタンカーで運んで病院に向かっているはずだ。でも、人を変えて何度も何度も上下運動しているのを見ると「ああだめだったんだな」と思う。

おろおろしている女性のことを考えた。楽しいバカンス。旦那が楽しみにしていたバカンス。つね日頃は口うるさい旦那だけど、愛しているし、今や孫もいる。さっきまでビーチレストランでビール飲んで美味しくないハンバーガーの文句言ってたじゃないの!

ももとトトロがビーチから帰るときにもまだ大勢の人たちは帰ってなかった。ももが気がついてからもゆうに1時間は超えている。帰り道、壊れた信号は無視して、おろおろしている女性のことを再び考えた。今夜は一人でとりあえずホテルに帰るのだろうか。相方は病院に横たわる中、いつまでもビキニ姿でもいられない。行きは二人、帰りは一人の飛行機内。だめ、私なら絶えられない。誰か一緒にいてもらわないと無理。一人であの家に帰りたくない。楽しいバカンスを楽しみに出て行ったあの家に。

途中で気分が悪くなった。当たり前だ。ももは夕食時のバルコニーでトトロもちょっとあのことを考えたと言うのを聞く。ホテル滞在中、半分を自炊した二人にとって、バルコニーで鳩と戦いながら食べるご飯はすでに手慣れたものだった。

鳩は、起きているうちの90パーセントを食べ物探しに費やすとどこかで読んだ。鳩にとっての幸せとは何か。食べ物をお腹いっぱい食べられることか。人間にとっての幸せって何だ。今更手あかの付いた疑問ながら、ますますマスマス分からなくなる。何だよ幸せってよ。

仮説。幸せって「今不幸せだ!」って思った直前こそが幸せな時期なんじゃないの?死んだらもう考えられないし。(と、とりあえず死で区切りをうっておく)ゆでがえるみたいに徐々に不幸せだなあと思ってるとしたら、いつからそんなこと考え始めたと考えてみれば、そこが幸せだった時との分岐点なのではないか。ようするに、幸せな時は幸せかなんて考えない。幸せかどうか考えないときこそ、正真正銘の幸せな時なんじゃないかと、ももは仮説を立てた。でも、本当にひどい状況の中なら、そんな事考えてる暇もないかもしれない。ますますわからない。バルコニーは、膨らみつつある月で明るい。

じゃあ、鳩は?反対にいつもお腹空かせてるから、食べた瞬間がいつも幸せで、次の獲物を探し始める瞬間幸せでなくなる?鳩は人間が追い払うだけで、本当に捕まえたり傷つけたりしないと知っている。鳩にとって脅威は人間じゃなくて他の動物とか同じ鳩同士だろう。

人間だけが、不幸せだと感じる直前まで幸せでいられる数少ない生き物かもしれない。翌日、近くで半旗を掲げているホテルを見かけた。あの人たちのホテルだろうか?別の人だろうか?最初ももは半旗の意味が分からなかった。こういうしいさなことで、自分にナショナリズムにかけていることに気づかされる。

さて、芋が主食のスウェーデンに住みながら、大胆にももう芋は食べるまいと誓いをたてるもも。ももはカナリア諸島名物の芋ソース「モホソース」が気に入って、芋とモホソースばかり食べていた。さらにお土産用を探すが、当たり前の様に全ての瓶詰めはケミカルみっちりで毒々しく美しい色が付いている。最終的にスパイスだけのもの(自分でオイルと酢を入れてねってやつ)を見つけて大量購入する。自分で作れるなら、保存料はいらぬ。腐らないものは、食べたくない。特に病気をしてからは。だってその分たくさん「体に悪い砂糖」を食べたいもの。砂では毒素排出できなかったし。じゃあ手作りソースならもっといっぱい芋食えるやろ。あは。

このあと、さらにビーチでももは特等のくじでiPODを当ててしまうのであった。

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