2010年7月2日金曜日

愛されたいと思う心が愛に飢える根源。


写真は水曜日にガムラスタンという観光地に行ったときのもの。歌が素敵でした。
で、ウクレレを弾かなくなったことを最近考えてみた。
…といいつつ革新的に別方向から迫って行く変化球なAYAさん。

今日、夏休み前の最後の授業だったですが、授業のあと見にパーティがあった。
私はそんなこと全然知らなかったけど、以前からこちらの学校に通っている生徒達は
自国の料理を持ち込みしていた。

そのなんとも美味しいことよ!!
久しぶりに「他人が作った」餃子を食べたし(中国人ですよ!)アラビアンスクな食べ物も美味しかったし、
スウェーデンのスポンジケーキも誰かの手作りのようだった。

美味しい美味しい…と舌では思いつつ、やっぱり感じるのは「寂しさ」。
まだこちらの学校に来てから2週間なのと、今回のパーティは学校全体のパーティなので知らない人ばかりだったのと、
今日のことを知ってか知らずか、私のクラスの人はほとんど今日学校に来なかった。

そう。私は皆が楽しげにしているパーティの中、一人ぽつんと「美味しいな〜」と食べ物に集中している振りをずっと続けてた。
頑張ってみれば、知らない人の所に言って話に加わる事も出来たかもしれないけど、
こういう場合集まるのは皆同じ国の出身の友達に決まってる。
いくらちょっとオリエンテーションで一緒に(無理矢理させてもらった)なったからといって、
仲良しロシア人のロシア語会話の間に分け入る勇気もないし、かといって
先生と話すのはずっとスウェーデン語を話さなくてはいけないので非常に疲れる。
中国人のかわいい子が「どこから来たの?」と声をかけてくれたが、それはあくまで「私が中国人か否か」を確かめる為の質問だった。

正直、ここにきて友達のいない寂しさに見舞われている。
だから「ガイドと交流が出来る」ヘミシンクに最近お熱なのかもしれない。
自分のガイドと脳内で話せれば寂しくないかも、なんて。

友達が欲しい、もっと自分と交流してほしいというのは比較的温度が低めの感情だと思う。
愛されたいという思いの代替感情として。
もっと高めなものだと「有名になりたい。自分に注目してほしい」あたりか。
これも元を正せば、愛されたいという根源に行き当たるのではないか。

好きで始めたウクレレが義務になった時、底知れぬ恐怖を感じた。愛されたいと思う気持ちは一生満足できないと思うからだ。これはがんばって自力で抜け出さないと、一生辛いままだと気づく。

私も何度か前のブログではっきり「ウクレレで有名になりたい。」って言ったことがある。
今そのブログは面倒くさくて読み返す気がないが、結局私は愛されたいが為にウクレレを弾いていた時期があったということだ。
どういう理由でウクレレを弾こうが個人の勝手だし、少なくともよかれ悪かれ私がウクレレを弾く事で誰かに何かしかの影響を与えたことも自覚している。
しかし、今、ウクレレを弾く気がまったく起きない。楽器としてのウクレレに興味を持つ事もなんだか面倒くさいことのように感じる。
しかしこれは、ひとえにダーリンのおかげだとつくづく思うのだ。

どっちが先かは知らぬが、少なくとも私はダーリンを愛している。それで何か知らぬが十分なのだ。
「愛されたいと思わなく」なった。ええと、でも実際に愛されていることは認めますよ。(笑)

愛されたいと思う心が枯渇の根源。愛せよ乙女。攻撃は最大の防御なり。(笑)
愛する気持ちが自分の心までも満たしてくれる。「愛」と一見手あかのついた言葉に見えるが、今の日本語でこの言葉以外に最も近い表現をしてるのは「愛」しかないのでとりあえず使ってますが。

でも。もう一段落したら、多分もう一度ウクレレを弾き始めるだろう。今年もイギリスのウクレレフェスティバルに行く予定だし。でも今度は、自分の楽しみの為に。今までの私の演奏を評価してくれた人の落胆を恐れることなく。けして他人から愛される為ではなく。

ああ、結局図書館から無断貸し出しですよ。(汗)

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